『 恋狂い不条理ならぬ青嵐 』つれづれ575qv2012 [つれづれ575]
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★ つれづれ575qv2012
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恋狂い不条理ならぬ青嵐
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07 五月空ことばの羽で飛翔せん
08 わがはいも蠅捕蜘蛛かお邪魔虫
09 蠅捕蜘蛛無聊の友となりにけり
10 夏来る悟空も足掻く現身よ
11 明日なくも今ここ歓喜蠅捕蜘蛛
12 恋狂い不条理ならぬ青嵐
13 手には花心に希望藤の花
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タグ:つれづれ575
『 そらごとも空にえがいて愁思かな 』林住期道楽交心rq2104 [林住期の道をあそぶ]
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★ 林住期道楽交心rq2104 ――★♪♪★―――――――――――――★♪♪★――
そらごとも空にえがいて愁思かな
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虚仮世間秋の陽ざしも身に添わず 仁
われを光と念じる旅路
曼珠沙華隠りの庵も絵空事 仁
こころふれあう迷宮の森
そらごとも空にえがいて愁思かな 仁
幻視の彼方甦れ魂
念ずればしるべの灯草の花 仁
名もなく咲いてこころに宿る
☆☆☆ 百呼rq21『 かくれ同士 』 への交心です。 ★★★
> 万葉集12-3063 浅茅原小野に標結空言も逢はむと聞こせ恋の慰に 。。。作者未詳『柿本人麻呂歌集』
寂しさもまた哀しみも、あなたを恋うる心のあればこそのわたしの情なのですけれど・・・あの荒れ果てた浅茅原の野原でさえ、ここはわたしのものだと標をつけて、たとえ虚しい言葉だったとしても、所有をはっきり表明しています。
その浅茅原のようなわたしにも、嘘でもいいですから、逢いに行くから待っていてと声をかけてくださいませ。そのお声を聞くだけで、わたしの切ない恋心は慰められ、和んで、あなたをおそばに感じ、ずっとずっとお慕いすることができるのですから・・・
昔も今も、人を恋しく念うこころのせつなさには、変わりがないのかもしれませんね・・・
伝わり、分かちあうこころはあっても、心のままに生きていけないのが人の世の常なのでしょう。それでも常の道を越えて、心に随えば、悲しい恋の道行き。これもまた、人の世の常かもしれませんけれど・・・
常の世をそれてあそばんひがん花 仁
うろ路むろ路のまじわる彼方
西行の月につながる道ありや 仁
我の内にも交わる無理路
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★★★ 筑紫風575交心rz2405『 寒の月後生を語る友に逢う 』 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 余命をあそぶ交心005rv3103『 朱夏の風心に創れ夢の閨 』 へどうぞ!!! ★★★
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
『 雨降れば降れ無為のひととき 言葉遊びで笑わんか 』尻取り都々逸言葉遊び交心vk1601 [都々逸]
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★ 余命の言葉あそび都々逸擬きvk1601
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雨降れば降れ無為のひととき 言葉遊びで笑わんか
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今、覚えたての尻取り都々逸遊びに熱中しています。
鄙隠りの凡愚老仁です。
色々言葉あそびのコミュにも参加させてもらい、色々の遊び方を学んでいます。面白い遊び方をご存じの方は教えていただけるとHappyです。
素人だから、七七七五の都々逸擬きですが、尻取り都々逸あそびが交流、共有できないものかと念じています。
あそび方は簡単です。
七七七五のどの七の語句を使ってもいいですから、七七七五の言葉あそびを楽しんでください。
尻取りは、七七七のどの七かの言葉を入れて、七七七五を詠んでください。
楽しく言葉あそびを遊んでもらえれば嬉しいです。
都々逸擬きですから、都々逸の本旨も作法も知らない者の言葉遊びです。
基本的なことは、七七七五の調子で言葉の積み木遊びを楽しむと思ってください。
言葉の積み木崩しでもいいんです。
子どもが積み木遊びに夢中になるように、作っては壊し、作っては壊し、無邪気に遊べればHappyです。
交心よろしくお願いします。
雨降れば降れ無為のひととき 言葉遊びで笑わんか 仁
無為のひととき心は自遊 果たせぬ夢の恋遊び 仁
★ 余命の言葉あそび575rr2901
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無為徒食なれど懸命きりぎりす
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あちらこちらに、都々逸擬き七七七五言葉あそびを書いて、交流交心を求めてきましたけれど、素人あそびはやはり面白くもないし、好奇心も刺激しないようです。どうせ遊ぶのなら、本物について学びたいという王道が求められるのでしょうね・・・
何ごとにも王道を逸れて、素人道ばかり、真似あそびしてきた鄙隠り老仁には、交流交心を求めるのは、奇跡を期待するようなことかもしれません。
それでも、何人かの心やさしい人に巡り会えて、交心もしてもらい、色々学ばせてもらいました。そんなめぐり会いを、やはり、夢見ながら、まねごとに、都々逸もどき言葉あそびをつづけさせてもらいます。
ストリート芸人のように、ネット街道で、芸を磨くという志を、秘かにでも、持ち合わせておれば、すこしは、精進もしそうなものですけれど、そんな頑張りにはほど遠い、幼稚な言葉の積み木遊びを、ただただ、子どものように、夢中になって、あそび呆けたいと念っています。
何ごとにも中途半端に、それでもいっしょうけんめい、目いっぱい楽しんで、笑って、余生を全うできたら、自足万歳、思い残すこともないのでしょうけれど・・・
無為徒食なれど懸命きりぎりす 仁
己も知らず流るゝまゝに
併せて、短い575あそびも、楽しみたいと念っています。
作法も縛りもない、素直な実感575です。
何にでも、心が動いたら、その動いた心を、自分の言葉で捉えて、そのまんま575で表してみます。ちょっとした気づきや、ふっと湧いてくる感動、おやっと思う不思議など、その瞬間の心の動きを、あるがままに、飾らずに、自分の言葉で書き留めるだけです。
> 俳諧は三尺の童にさせよ。 芭蕉 土芳『三冊子』
芭蕉さんの言葉ですけれど、ぼくはそのまま、子どもに還って、無邪気に、見たもの、感じたものを、そのまま書き留めましょう、と理解します。
飾らない、比べない、選ばない。心の動きのあるがまんまを、自分の感じた言葉で書き留めるだけです。
飾らないんです。その時出た言葉を書き留める。
人の作品と比べない。比べたら、素人だから、劣っているのはあたりまえ。上手な作品と比べたら、下手だから、書き留めることが嫌になり、無意味に思われます。
大切なことは、自分の心の動きを書き留めたというその事実を喜び、よう書き留めたと自分を賞めてやるんです。できのわるい子ほど可愛いという親心です。できの悪い句も本気で可愛がると、もっとかわいくなって、その子のほんとうの良さが見えてくるので、本物のおつき合いになり、だんだん見栄えもよくなってくるものです。
> 見るにあり、聞くにあり、作者感ずるや句となる所は、即ち俳諧の誠なり。 同上
とも芭蕉さんは言っているそうです。
難しいことは分かりませんが、心が動くということは、感動したということで、何か新しい発見があったんでしょう。何か新しい気づきがあったんでしょう。その発見、気づきを書き留めるんです。外部への気づきも発見も、新しい自分の気づきだし、新しい自分の発見です。
新しい自分の発見は、積み重なっていくと、もうこんなに面白い遊びはありません。
余生に入って、やっと、ぼくは、自分を、本気で、面白いと思うようになりました。
晩稲の自覚もあって、人に言えることではありませんが、子どものように無邪気になれば、面白いことには熱中してしまいます。
束の間に命をつなぐ早稲の花 仁
生涯かけて何遺すか吾
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 余命の言葉あそび都々逸擬きvk1601
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雨降れば降れ無為のひととき 言葉遊びで笑わんか
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今、覚えたての尻取り都々逸遊びに熱中しています。
鄙隠りの凡愚老仁です。
色々言葉あそびのコミュにも参加させてもらい、色々の遊び方を学んでいます。面白い遊び方をご存じの方は教えていただけるとHappyです。
素人だから、七七七五の都々逸擬きですが、尻取り都々逸あそびが交流、共有できないものかと念じています。
あそび方は簡単です。
七七七五のどの七の語句を使ってもいいですから、七七七五の言葉あそびを楽しんでください。
尻取りは、七七七のどの七かの言葉を入れて、七七七五を詠んでください。
楽しく言葉あそびを遊んでもらえれば嬉しいです。
都々逸擬きですから、都々逸の本旨も作法も知らない者の言葉遊びです。
基本的なことは、七七七五の調子で言葉の積み木遊びを楽しむと思ってください。
言葉の積み木崩しでもいいんです。
子どもが積み木遊びに夢中になるように、作っては壊し、作っては壊し、無邪気に遊べればHappyです。
交心よろしくお願いします。
雨降れば降れ無為のひととき 言葉遊びで笑わんか 仁
無為のひととき心は自遊 果たせぬ夢の恋遊び 仁
★ 余命の言葉あそび575rr2901
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無為徒食なれど懸命きりぎりす
――♪♪♪♪―――――――――――――♪♪♪♪――
あちらこちらに、都々逸擬き七七七五言葉あそびを書いて、交流交心を求めてきましたけれど、素人あそびはやはり面白くもないし、好奇心も刺激しないようです。どうせ遊ぶのなら、本物について学びたいという王道が求められるのでしょうね・・・
何ごとにも王道を逸れて、素人道ばかり、真似あそびしてきた鄙隠り老仁には、交流交心を求めるのは、奇跡を期待するようなことかもしれません。
それでも、何人かの心やさしい人に巡り会えて、交心もしてもらい、色々学ばせてもらいました。そんなめぐり会いを、やはり、夢見ながら、まねごとに、都々逸もどき言葉あそびをつづけさせてもらいます。
ストリート芸人のように、ネット街道で、芸を磨くという志を、秘かにでも、持ち合わせておれば、すこしは、精進もしそうなものですけれど、そんな頑張りにはほど遠い、幼稚な言葉の積み木遊びを、ただただ、子どものように、夢中になって、あそび呆けたいと念っています。
何ごとにも中途半端に、それでもいっしょうけんめい、目いっぱい楽しんで、笑って、余生を全うできたら、自足万歳、思い残すこともないのでしょうけれど・・・
無為徒食なれど懸命きりぎりす 仁
己も知らず流るゝまゝに
併せて、短い575あそびも、楽しみたいと念っています。
作法も縛りもない、素直な実感575です。
何にでも、心が動いたら、その動いた心を、自分の言葉で捉えて、そのまんま575で表してみます。ちょっとした気づきや、ふっと湧いてくる感動、おやっと思う不思議など、その瞬間の心の動きを、あるがままに、飾らずに、自分の言葉で書き留めるだけです。
> 俳諧は三尺の童にさせよ。 芭蕉 土芳『三冊子』
芭蕉さんの言葉ですけれど、ぼくはそのまま、子どもに還って、無邪気に、見たもの、感じたものを、そのまま書き留めましょう、と理解します。
飾らない、比べない、選ばない。心の動きのあるがまんまを、自分の感じた言葉で書き留めるだけです。
飾らないんです。その時出た言葉を書き留める。
人の作品と比べない。比べたら、素人だから、劣っているのはあたりまえ。上手な作品と比べたら、下手だから、書き留めることが嫌になり、無意味に思われます。
大切なことは、自分の心の動きを書き留めたというその事実を喜び、よう書き留めたと自分を賞めてやるんです。できのわるい子ほど可愛いという親心です。できの悪い句も本気で可愛がると、もっとかわいくなって、その子のほんとうの良さが見えてくるので、本物のおつき合いになり、だんだん見栄えもよくなってくるものです。
> 見るにあり、聞くにあり、作者感ずるや句となる所は、即ち俳諧の誠なり。 同上
とも芭蕉さんは言っているそうです。
難しいことは分かりませんが、心が動くということは、感動したということで、何か新しい発見があったんでしょう。何か新しい気づきがあったんでしょう。その発見、気づきを書き留めるんです。外部への気づきも発見も、新しい自分の気づきだし、新しい自分の発見です。
新しい自分の発見は、積み重なっていくと、もうこんなに面白い遊びはありません。
余生に入って、やっと、ぼくは、自分を、本気で、面白いと思うようになりました。
晩稲の自覚もあって、人に言えることではありませんが、子どものように無邪気になれば、面白いことには熱中してしまいます。
束の間に命をつなぐ早稲の花 仁
生涯かけて何遺すか吾
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★